HAPPY LIFE

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成長への道は「妄想」? <行動レパートリーのお話>

今日は仕事で大きめのミスをした。

 
諸々の問題も含め、先輩らは問題解決方法の一つとしてこうおっしゃる。
「言いたい事あったらもっとガンガン言っていいよ!」
「もっと自分からみんなにうるさく言っていいからね!」
 
その場で私は「はい、わかりました」と答える。
でも頭は思考停止状態な気がした。
 
その後帰宅しながらこの件について考える。ちょっと不安になる。
先のようなことを先輩に言われるのは私があまり自分から発言しない人、つまり「主体性のない人間」だからだろうか?
 
答えは(グレーに近めだけど)NOだと思う。
なぜなら、今の職場ではないところで「ガンガン言える」場所があったから。
今までずっと触れてきた教育という分野においては自分の意見を持っていて、何か言われて「はい、わかりました」で終えることはまずない。
 
つまり、この職場での私がなんだか主体性に欠けるように感じられるのは、「慣れていない」からなのではないだろうか。
よく、戦うなら自分の土俵で、のような表現を聞くけれど、まさにこのことではないか。
この職場は私にとっての「自分の土俵」にはまだなっていない。
自分の土俵にするためには「慣れ」が必要だ。
 
というわけで、今日は主体性を持つために必要そうな「慣れ」について掘り下げてみる。
 
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「慣れる」とはどういう状態か。
慣れている人と慣れていない人を思い浮かべて比べてみる。
 
・慣れている人は、何か1単語を聞くだけでそこから色んなところにリンクさせて様々な問いを投げられる。
・慣れていない人は表面的な対応しかできない。
 
もっと言えば、慣れた人は『病気(問題)の根本的治療ができる人』
慣れていない人は『対処療法しかできない人』とも言えるかな。
 
 
ではさらに、「慣れた状態」になるためには何が必要か。
これは【経験してみる】ことだと思う。
ただし重要な事は、ここでの【経験】は必ずしも自分の経験である必要はない。
よく言う「吸収力のある人」というのは、自分の経験だけでなく周りの人の行動と結果をみて何かを「理解」「認識」することを多く行っている人、と表現することができるのではないだろうか。行動分析学において、自分でできる行動の種類(要素?)を「行動レパートリー」といい、人間は新しい行動レパートリーを獲得するときに必ずしも自分で経験する必要はないという。
 
すなわち、新しい職場でなるべく早く慣れる・成長する(使える・必要とされる人間になる)ためには、より多くの人の行動とその前後関係を観察し、分析し、認識し、トレースつまり妄想することが近道なのではないだろうか。そうすることで、自分が反応できる場面が増え、その行動がより強化されて起こりやすくなり、般化によってより様々な業務をこなそうとし始める好循環が生まれていくのではないだろうか。
 
 
具体的に、最近私が心がけている事は、先輩と上司の2人に注意を払い、2人の言動を注視すること。
同じ紙を見ても私と先輩では考えている事がまるで違う。紙を見ながら漏れ聞こえてくる先輩の言葉を拾い、そこから何を考えてそんなコメントが出てくるのかを推測する。どうしてもわからなければ尋ねる。どうしたらその言葉を発する事になるのか、と。
ポイントは、【その先輩のたどった道】=【頭の中の言語行動あるいは実際の行動による経験】を推測・分析しながら自分の頭でトレース(つまり妄想)することでその先輩の経験を『疑似体験』し、自分の行動レパートリーに入れようとすることだ。妄想による疑似体験ができたら、次は実践あるのみ。
 
さぁ、明日もさらなる成長へ向けて一歩を踏み出そう。