HAPPY LIFE

幸せに、充実した人生を生きるために

自分の価値観のアンテナを決めるもの

言葉には色があると思う。

 
私は日本語がとっても好きなんだけど、その理由は感性に優れた実に多彩な表現が存在しているから。
存在は知りつつもまだ私の語彙の中には入りきっていないので、その表現を使えないのが口惜しい。
 
(余談:「好きなんだ『けど』」の『けど』は逆説的意味合いで使う接続詞(?)なはずなんだけど、次に続く言葉が逆説的でなくても『けど』を使ってしまわざるを得ないのがなんだか悔しい。なんでだ?)
 
さて、本題に戻ると、私にとって
「ありがとう」の色は、淡いピンクのような淡い赤のような。暖色系を淡くしたイメージ。
「こんにちは」は淡い黄緑のようなイメージ。
私にとってきれいな色は「淡い」イメージが強いかもしれない。
 
あとは、「ごめんなさい」はグレーにちょっと黒いラインが入ったイメージ。
「まったくなんなの?」は赤に黒を足したようなどろどろしてとんがってるイメージ。
 
 
もちろんそれぞれの人生を生きてきたそれぞれの経験によってこれらのイメージ(あるいは色をイメージする事自体)が違う事はいうまでもないけれど、何か言葉を聞いたときに意識的に、あるいは無意識的に『何か』が頭に浮かぶのは誰しも同じなんじゃないかな。
 
 
さてここで。
私の持論では、引き寄せの法則なるものは大なり小なり存在すると思っている。
いろんな解釈があるのかもしれないけど、その法則のさわり(超入り口)として私が最近考えているのは、以下のようなこと。
 
 
人は何かの単語を聞くと、意識的にしろ無意識的にしろ『何か』を思い浮かべてしまうのではないだろうか。
そのときに思い浮かべるのは例えば、頭の中に存在する単語で、そのときに耳にした(あるいは目にした)単語に一番近い単語。
一番近いっていうのは、例えば直近で考えていた出来事に関する言葉とか、直近で経験した出来事に関する単語とか、何度も何度も思い返していたことに関する単語とか。頭の中で「すぐに出てくる場所にある」単語なんじゃないかな。
 例)ふと聞こえてきた他人の「そういえば土曜日の花火さぁ〜・・・」という発言で、 「あー土曜日雨だったなー。大変だったなー。でも綺麗だったなー。また見たいなー。来年こそは晴れるかなー。去年は曇りだったもんなー。」などなど。
 
ここで、例えば「ありがとう」って聞いて微笑ましいなって笑顔になる人もいれば、なんだか嫌な気分になる人もいるだろう。
 
ここが大事。
この2者の違いこそが引き寄せの法則に関わるんじゃないかなって思うのです。
 
普段からいろんなもの事に対して「批判的」「否定的」「嫌悪的」な関わりを頭の中で、あるいは実際の行動として行っている人は、頭の中で一番取り出しやすい位置にある単語や経験や感情が、暗い内容ばかりになっている。だから、何かを見聞きしたときにふと思い浮かべる内容も暗くなって、自分の周りがどんどん暗くなっていく。つまり、「暗いものアンテナ」が発達している。
対して、普段からいろんな物事に対して「肯定的」「容認的(?)」「好意的」な関わりをしている人は、頭の中で一番取り出しやすい位置にある単語や経験や感情は明るいものである可能性が高い。だから、何かを見聞きしたときに弾みで思い浮かべる事柄も明るい事が多くなる。つまり、「明るいものアンテナ」が発達している。
 
アンテナって、発信側も大切だけどむしろ受信の方が重要なんじゃないかな。何を受け取るかを決めるのは自分。無意識的に無作為に情報を受け取っているように見えて実は恣意的に「受け取る」って決めた情報だけ受け取ってると思う。
例えば、どこか遠くで誰かが話をしている中で、話の内容は全く聞いていないのに、自分の名前(自分と同じ名前)だけははっきり聞こえてくることってよくあると思う。あんな感じ。
このアンテナが、自分の周囲から「何を受け取るか」「何に気づくか」を決めていて、それがいいものにつながるのか悪いものにつながるかによって結果が変わるのではないだろうか。
(だから、同じ話を聞いても、アウトプットしてみると話の内容が全く違うなんてことも起こるのでしょう)
 
先日、斎藤一人さんの本を読んでいて「天国言葉」というのを知った。
ありがとう、愛しています、など一般に「良い」とされる言葉。
これを毎日唱えてごらん、と書いてあるのだけれど、これってまさに自分の「明るいものアンテナ」を育てる行為なんじゃないかなって思う。
頭の中の取り出しやすい位置にいい言葉を置くように練習していくことと同義なんだろうな。